風立ちぬの再放送がありましたね!
そういえば風立ちぬのシベリアを上げるシーンに何故か違和感を覚えた人がいたのではないでしょうか?
今回の記事は
- 風立ちぬのシベリアのシーンはなぜ偽善といわれるかについて
- 風立ちぬのシベリアのシーンのセリフや時代背景について
をまとめています。
風立ちぬのシベリアのシーンはなぜ偽善といわれるかについて
ジブリ映画「風立ちぬ」の「子供たちにお菓子(シベリア)をあげようとして拒否される」と言うシーンは本当に偽善なのでしょうか?
その後、二郎は本庄に「偽善だ」と言われ「違う!いや、そうかも知れない」と認めます。
こちらについてはいろいろな意見があると思いますが私が一番分かりやすかった意見がこちらです↓
主人公が自分の夢を追い求める飛行機作りは、軍の依頼、つまり税金で成り立ってます。
つまりその税金を経済政策に回せば子供達も貧しさから脱する事ができるかもしれません。
主人公が作る飛行機は人々の為、というのがある筈です。
でもその資金の為に国民を貧困に追い込んでいるのなら、そこに矛盾があるわけです。
その矛盾の上に自分の夢が成り立ってるという事を、主人公も自覚しているんじゃないですかね。
彼が作る飛行機は兵器である為、人の為である筈のものが人を死に追いやるものになっている、という矛盾がそもそもあります。
それと同じもので、主人公が夢を追うというのは、単にバラ色ではなく、汚れてもいる、って事ですね。
yahoo知恵袋
シベリアを渡すシーンで主人公の気持ちは善意だったのかもしれませんが、時代の背景がその行為を偽善に歪めてしまっている。
私はそんな印象を受けるシーンでした。
風立ちぬのシベリアのシーンのセリフや時代背景について
風立ちぬの主人公を偽善と叱ったシベリアのシーンの本庄のセリフは以下になります。
「偽善だ。その子がお前に礼でも言うと思ったか?
腹を減らしている子供なんかいくらでもいる。
俺たちがやっている飛行機の開発に消える金で、日本中の子供たちに天丼とシベリアを毎日食わせて、まだお釣りが来るんだ…それでも俺は与えられたチャンスを無駄にしない。」
本庄の飛行機に対する思いがよく分かるセリフです。
自分がどういうことを他人に強いていて、そのうえでも目指すべきものを見失わない志が表れています。
本庄のセリフは夢のために他のことを切り捨てる覚悟の現れなのでしょうか。
風立ちぬの時代背景は以下になります。
第一次世界大戦の特需景気の反動と、1923年に起きた関東大震災の影響で、1920年代は経済的苦境が続いた。
29年には世界恐慌が起き1930年代に入ると日本経済も危機的状況となる。
31年には満州事変が起き十五年戦争へと突入。文化や生活も激動の時代で、大正ロマンから昭和モダンへと変容。
大正デモクラシーの流れを受けた近代化と自由主義経済のもと民主政治が定着するはずが、軍国主義へと傾いていった。
まとめ
今回の記事をまとめると、
- 風立ちぬのシベリアのシーンはなぜ偽善といわれかは、純粋な善意でも立場や背景が善意をゆがめているから
- 風立ちぬの本庄のセリフは夢のために他のことを切り捨てる覚悟の現れ
トイ内容になります。
こちらのサイトでは風立ちぬの内容についてまとめています↓
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