痛ましい池袋暴走事故から数日が経ちましたが、飯塚幸三の事件への対応の悪さやメディアの擁護に腹を立てている人も多いと思います。
今回の記事は、
- 池袋暴走の論点すり替えについて
- メディアの責任転嫁している理由ついて
という内容をまとめています。
池袋暴走の論点すり替えや擁護の論点と批判まとめ
池袋暴走の事件でメディアの「さん付け」呼びや、擁護の声にネットからは多くの批判が寄せられています。
さらに最近では芸能人も論点のすり替えをして問題点をずらしたり、どうしてそこまで擁護されるのか分からず怒りの声が上がるのも不思議ではありません。
メディアを通じた論点のすり替えや擁護には、
- 公共交通機関のあり方を含めた『社会の仕組み』が悪いとするもの
- 車「プリウス」が悪いとするもの
- 移動手段として車しかなく、仕方がなかったというもの
というものがある。
では本当にそういう問題だったでしょうか?
公共交通機関のあり方を含めた『社会の仕組み』が悪いとするもの
公共機関の発達していない田舎の事件なら筋が通っていたのかもしれない。
しかし、今回の事件は日本の首都「東京」で発生している。
電車は数分おきに来るだろうし、交通機関においてこれ以上の進歩を求めるには無理があるのではないだろうか?
タクシーだって拾おうと思えば時間さえかければ安全移動できたでしょう。
「足が悪くて動きずらいのに足に精密な動きを求められる車で移動する」という明らかに危険な行為を「社会の仕組み」のせいにするのは明らかに論点すり替えであり、責任転嫁に違いない。
車「プリウス」が悪いとするもの
プリウスの操作性が悪いとする意見があります。
しかし、これはプリウスを選んだ本人が悪いのであってプリウス自体に罪はないのではないでしょうか?
もし車を購入するなら自分あった操作性や大きさ、機能をもったものを選ぶのは運転者の責任であるはずです。
例えば、免許取り取り立ての運転手がいたとして、自分の操作技術では運転できない大型車を買ったとする。
その車のことをよく知らず知人に紹介されて購入したとしても、事故を起こした場合責任を取るのは運転手であり、紹介した知人でもまして車でもないはずです。
車を選ぶも、運転者の責任です。
移動手段として車しかなく、仕方がなかったというもの
これは、この事故がどこで発生したのかを考えずに安易に発言したのではないかと思います。
事件を起こしたのは東京で、交通機関が発達していました。
さらに飯塚幸三は「上級国民」と表現され、これまでの経歴から考えてお金に不自由することはなかったはずです。つまりタクシーなどを使えばいくらでも安全に移動できたはずです。
それなのに、「移動手段は車だけ」は、無理があります。
飯塚幸三の責任はなぜメディアに取り上げられない?
飯塚幸三の責任を追及するメディアやマスコミを私は知りません。
ある記事は「被害者の声」と「逮捕しない理由の説明(飯塚幸三の擁護)」「車の責任(飯塚幸三の擁護)」という内容ばかりです。
一般市民ならまず即逮捕の事件だっただろうし、メディアも「さん付け」や「元院長」などこれだけの事故を起こした人間の扱われ方とはまるで違い、ネットでも批判が凄まじい。
過去どれだけすごいことの行ってきたとしても、人殺しの責任は消えるわけではありません。
今まで一度も正式に謝罪していない飯塚幸三に批判が集中するのは当然かと思いますが、そのうえでマスコミは今までいろいろな人の批判や行ってきたのにも関わらず、なぜ突撃取材や批判記事の一つでも書かないのでしょうか?
それは、批判記事を書いたことで後から名誉棄損で訴えられるからでしょうか?それとも「上級国民」だからマスコミからも贔屓にされているのでしょうか?
理由は公開されることはないでしょうが、飯塚幸三には被害者の納得する謝罪がきちんと行われ、しかるべき処遇をきちんと受けることを望みます。
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